天球に散りばめられた星々の奏でる調べが、地上に生きる我々人間に何がしかの影響を及ぼしているのかもしれない。妙なる調べに共鳴して楽しく愉快に過ごす時もあれば、不協和音に不快感を抱き苦痛に苦しむ時もある。何か天球の摂理のようなものを、人生の節々において意識させられている人もいるだろう。しかしこういう類の話は、その人があると思えばあるのだろうし、そんなものあるはずがないと思えばないのかもしれない。
ただここで無いと断定してしまうと、この話は先に進まないので、あるかもしれないとの前提で考える。たぶん歴史に名を残すような偉大な人物の多くも、目には見えない何かの存在を意識したことがあるのではないだろうか。それが天球の星々の奏でる調べであるとしたら、その人たちはどのような調べにあわせて喜び、楽しみ、悩み、悲しみ、苦しんだのだろうか。
そんなことを思いながらごくごく軽い遊び心で、観球子が日ごろから興味を抱いている歴史上の人物にスポットをあてて、その人物に影響を及ぼしたかもしれない天球上の星々を、ちょっとだけ垣間見ることにする。
ところで一言で天球上の星々とはいってみても数えきれないほどある。しかし大部分は恒星で占められており、これらはその名のとおり基本的に動かない。動かないから星座として座標系に利用される。春分点を起点に黄道は12等分され、おひつじ座からうお座に至る12の星座が配置されている。
その中を黄道に沿って太陽、月、惑星、小惑星等の星と、いくつかの仮想の点が移動する。ここではこの移動する少数の星と点が奏でる調べに注目してみたい。対象となる人物が出生した場所、時刻における天球上の星と点の配置をしるした占星天球図が、生涯にわたってその人物に作用するとの考えに立って話を進める。
ここでひとつ問題となるのが出生時刻である。歴史上の人物の誕生日を知り、旧暦を西暦に変換することは資料もありそれほど難しくないが、正確な出生時刻は分からないことが多い。多くの場合ここで話はストップする。しかしそれではおもしろくない。
さいわい歴史上の人物については性格、経歴、業績等の資料や、あまり当てにはならないが、肖像画も残されていることが多い。特に著名な人物については、メディア等でも繰り返し取り上げられているので、歴史の専門家ならずとも、そこそこの知識は持ち合わせているものである。
そこで観球子はこれらに基づいて、大胆に出生時刻の推測を試みることにした。あくまでも推測であるから外れることもある。というより外れることのほうが多いだろう。あまり真剣に受けとめないでほしい。ダメもと精神なのである。あしからずご承知おきいただきたい。
思うに、なまじ不確かな出生時刻の資料に振り回されるよりも人物像、業績、人生展開から逆に推測するほうがスッキリすることもある。もちろん時間をかけて慎重に吟味する必要はあるが。
さて、では誰にスポットライトをあてるか。徳川家康がおもしろうそうだ。人質生活に始まり晩年には天下人にまで登りつめ、近世日本の礎を築いた人物である。日本人であれば知らない人はいない。ショーグンとして海外での知名度も高いようである。観球子ならずとも関心を持つ人は多いであろう。人物の好き嫌いは別にして。
徳川家康に続いて、豊臣秀吉、織田信長を加えた、戦国三英傑の占星天球図の作成と分析を完了した。
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